あの凄惨な光市の母子殺人事件。その被害者である本村洋さんの事件から、差し戻し広島高裁での判決までの3300日を追ったノンフィクションです。
以前も書きましたが、広島高裁の判決後の本村さんの記者会見。被害者としての思いがありながら、理路整然としたその会見模様にとても頭がいい人だなと感じたことを覚えています。
そこで興味を持ち、殺された側の論理を読んだわけなのですが、そちらの方はまだ裁判が終わっていない状態で出版された本でしたし、光市の事件だけの話だけではありませんでした。
そこで今回、光市の母子殺人事件だけにフォーカスし、広島高裁の判決後まで追ったこちらの本を読んでみたのです。
こちらの本はタイトルの通り、は裁判そのものというより事件後の本村さんの戦いについてフォーカスを当てています。相手は「犯人」でもなければ「司法」でもない「絶望」です。
最愛の妻と子供を失い、どん底に突き落とされ、さらには司法の壁にも絶望しながら、なぜあのように犯罪被害者の会の論客となりえたのか。
もちろん本村さんも初めから強い意志をもっていた訳ではありません。
何度となく絶望に押し潰されそうになり、自ら命を絶とうとしたことか。
しかしその度に、周りの人に諭され支えられ、再び「絶望との戦い」に挑んでいきました。
そういった意味では本村さんは恵まれていたのかもしれません。
担当した刑事の気遣い、文字通り被害者の代理にとなって戦う検察官、そして何より職場の人たちに恵まれていたという点でしょうか?
多少の脚色はあるでしょうが、勤務先である新日鐵の上司 日高さんが素晴らしい。
辞表を出そうとした本村さんを
「新日鐵にという会社には君を置いておくだけのキャパシティはある」
と話し、
「君は、特別な体験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。≪中略≫ 納税も労働もしていていない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人たりなさい」
と諭す。これによって本村さんは
会社とは給料をもらうだけののところではない。人と人との繋がりがあり、人は会社に守られ、社会に守られ、そして、人として多くのものに貢献していくものだと悟った。
と感じたといいます。なんと日高さんの懐の深いことか
最近の言葉にCSRというものがあります。
企業の社会的責任ということですが、こういった人たちを支えることも立派なCSRなんだろうなぁとつくづく感じました。
殺された側の論理より比較的ニュートラルで読みやすく、事件について知りたいのならこちらの方がお勧めです。
なぜ君は絶望と闘えたのか
著 者:門田 隆将
ジャンル:ノンフィクション
出版社:新潮社
四六版255ページ
価 格:1,365円
日高さんのエピソード、胸に迫るものがあります。
加害者が未成年ということもあり、いろいろ考えさせられることの多い事件ですが、さまざまなものに立ち向かった本村さんの背後には、こうした支えがあったわけですね。(もちろん支えだけで闘えるはずもないのですが)
レビューを拝見しただけで胸が熱くなりました。
投稿情報: 庵魚堂 | 2008/12/04 15:25
庵魚堂さん
私も本村さんは、もともと冷静沈着な方かと思っていましたが、やはりいろんな方の支えがあったんだなと認識を新たにしました。
事件があったから、ではなく、普段からの人の繋がりもあってこそでしょうけど。
よろしかったら、本の方、読んでみてくださいね
投稿情報: yomikaki | 2008/12/05 07:37