数年前に登った劔岳。
麓の劔沢から見上げる劔岳は、どこから登るのかわからないほど急峻な険しい山でした。
この山は日本百名山に名を連ねれてはいますが、国内で一般の人が登れる山として最も険しい山として知られています。 残念なことに毎年のように滑落事故が発生する山でもあります。
この本「劔岳 点の記」
は、劔岳の初登頂を目指して繰り広げられるドラマを、史実に基づき新田次郎が書いた小説です。
この小説自体は劔岳に登る前から知ってましたが、読もうと思っていながら読まずじまいでした。
ところが、2009年公開を目指し、浅野忠信主演で映画の撮影に入っているというじゃないですか!? そこで興味がまた巻き起こってきて読んでみました。
ちなみに点の記とは、測量の際に使用する三角点の設置記録のことです。
測量は見通しの良い場所に三角点(標石)を設置し、三角点同士の角度を測ることによって距離や標高を算出しますが、
その三角測量を行う基礎となる大事な標石の設置記録、それが「点の記」になります。
三角点は見通しの良い山頂に設置されることが多く、そこで測量隊は道なき道を進み、山頂に三角点を設置していきました。
だからこそ日本国内の山々の初登頂は、この測量隊、陸軍陸地測量部によって成し遂げられてきました。
その甲斐あって、明治末期にはめぼしい山には三角点が設置され、ほぼ国内全域の地図もできあがりました。唯一、
三角点の設置がままならず、地図の空白地帯となっていた場所、それが劔岳周辺でした。
古くは、「弘法大師が草鞋三千足を費やしても登れなかった」という伝説が残る山でもあり、麓の村々では立山信仰の中心的存在として、
「登れない、登ってはいけない山」と語り継がれて劔岳です。そのような伝承は別にしても、
どこから登って良いのか判らないほど急峻な山であり、その登頂は極めて困難というのは歴然とした事実でした。
だってこんな山ですよ、岩山にへばりついて登るのです
この話は明治39年、地図の空白地帯を埋めるべく、「劔岳へ登頂し三角点を設置せよ」
との命令が測量官である柴崎に下るところから始まります。
もちろん登頂して測量することが主目的ではあるのですが、その背景には日本山岳会の存在がありました。
発足してまもない日本山岳会はその最後の未踏峰、剱岳に初登頂しようとしているというのです。
日本山岳会はいわばアマチュア、測量のいや登山のプロである陸地測量部(国土地理院の前身)が負けるわけにはいかないというの幹部のいや、
測量部全体の意地が入って、初登頂を目指しレースが始まります。
悪天候や非協力的な県の役人、面子を重んずる測量部の幹部そしてライバルである山岳会のメンバー。様々な困難に、 柴崎は頼りになる人夫頭の長次郎と共に立ち向かいます。そして登頂に成功した芝崎達が山頂で見たものは...
とまあ、こんなストーリーですが面白かったです。
久しぶりに新田次郎はいい!他の話も久しぶりに読んでみようかなという気になりました。
それに映画もとても楽しみです。
そうそうこの話で取り上げられた「点の記」は、国土地理院のHPで登録を行えば誰でも閲覧することができます。
早速登録して劔岳の三角点の点の記を見てみました。ちゃんと「選点 明治40年7月13日 選点者 柴崎芳太郎」と記載されています。
実は芝崎が選点した当時は標石を持ち上げられることができず、四等三角点の扱いでした。四等三角点では「点の記」は残しません。
つまり正式な記録として残らないのです。
ところが昨年、芝崎達の測量から100年を迎えるのにあたり、国土地理院では劔岳測量100年記念事業を行いました。
その一環として2004年に標石設置が行われ、精密測量が実施されたのです
(現在では三角測量は行われずGPS測量となっています)。
その結果、劔岳の標高が今までより1.5m高く、2,999mであることが判明。また四等三角点から三等三角点に格上げ、とうとう
「点の記」
が記録されることとなったのです。
やるじゃん!国土地理院
著 者:新田次郎
ジャンル:小説
出版社:文芸春秋
文庫版: ページ
価 格: 720円
随分昔に登りました。なつかしいです。室道乗越あたりからと、いわゆる「裏剣」が観るには良かったですよね。
投稿情報: yattunn | 2008/04/22 12:45
yattunnさんも、登られましたか!
頂上での眺望がきかなかったのが残念でしたが、麓からみた劔岳もかっこよくて感動でした。
やっぱり山をやってると一度は登りたい山ですよね
投稿情報: yomikaki | 2008/04/23 07:21