今、エッセイスト白洲正子の名前は知っていても、その夫 白洲次郎について知っている人は少ないのでは無いでしょうか。 私もその一人でした。
戦後の日本政府の窓口として、GHQと激しく対峙した唯一の日本人であり、日本の独立と経済復興の影の立役者。その一方でイギリスで学んだ紳士の哲学 ”プリンシプル” を大事にするダンディな男、それが白洲次郎です。
彼にはたくさんのエピソードがあるようですが、一番初めの章 ”稀代の目利き” の章にこういうエピソードが載っていました。
昭和天皇からのクリスマスプレゼントをマッカーサーの部屋に持参したことがあった。机の上には贈り物が堆く積まれている。そこでマッカーサーは、
「そのあたりにでも置いておいてくれ」
と絨毯の上を指さした。
そのとたん白洲は血相を変え、
「いやしくもかつて日本の統治者であった物からの贈り物を、その辺に置けとは何事ですかっ!」
と叱り飛ばし、贈り物を持って帰ろうとした。さすがのマッカーサーもあわてて謝り、新たにテーブルを用意させたという。
---戦争には負けたけれども奴隷になったわけではない。
それが彼の口癖だった。
そんなマッカーサーとのやりとりは伏線があったからこそそうなったということは、本を読み進むにつれ明らかになりますが、このエピソードは彼のことをよく表しているんでしょう。
だから著者も冒頭に持ってきたのだと思います。
マッカーサーを筆頭とするGHQに対しても、日本人としての誇りを忘れずに一本筋の通った ”プリンシプル” をもって接する。
そして昭和天皇から、贈り物を預けられるという出自。
実際彼は、明治から大正にかけて綿花貿易で財をなした家に生まれ、妻、正子は皇室との関係の深い樺山家の出身です。父親が破産という憂き目にも遭いますが、やはり上流階級であることは間違いありません。
なにせ中学生の時には車を乗り回していたといいますから、巨人の星の花形満のようなヤツです(笑)
この本では、そんな次郎が育った環境に軽くふれ、戦後の活躍について多くのページを割いています。憲法制定の現場、通産省の創立、サンフランシスコ講和条約、と彼は吉田茂の懐刀として活躍します。
ただ、東北電力の会長として只見川の電力開発に関与したくだりは、それ以外の日本の行く末を考えて行動していた頃と違い、権力の亡者と化しているような気がしてちょっといただけませんでした。
単なる白洲次郎の伝記というだけでなく、戦後日本における日本政府とGHQとの関係、憲法制定の経緯等、そうだったのかと思うことしきりでした。おもしろかったですよ。
著 者 北 康利
ジャンル ノンフィクション(伝記)
出版社 講談社
四六版 405ページ
価 格 1,890円
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