十八世紀後半にルイ十六世の命を受け、世界一周を行う途中でヨーロッパ人には未開の地であった太平洋北西部の探検をしたラペールーズの航海記です。(当時日本人もあまり蝦夷地のことはよく分かってなかったけど) また、ルイ十六世の勅命には、「江戸や長崎といった太平洋岸では日本との交易は難しいだろうけど、北東部における交易の可能性を探れ」ということも含まれています。ようは江戸から遠い分、鎖国が徹底されてないのでは?ということですね。
ラペルーズは、フランスを出航して大西洋を横断し、ホーン岬を越えハワイを経由してアラスカへ、そしてマカオへ1787年4月に到着してます。そこからが本書の範囲である日本近海となります。マカオを出航したラペルーズは、対馬海峡を抜け能登半島沿岸に接近し、日本の船を確認しておきながら接触せず北上を続けます。
その後は日本海沿岸を北上し、サハリン西岸と大陸の間を北上し間宮海峡を抜けようとしますが幅と深さと風で断念し、サハリン西岸に沿って南下しヨーロッパ人として初めて宗谷海峡を抜けるのです。それを記念して海外では宗谷海峡のことをラペルーズ海峡というのが一般的だそうです。
このころアイヌの人たちだけが住んでいたサハリンは、ヨーロッパ人には太平洋北西部とは未開の地であったようです(当然日本人にとってもでしょうけど)。千島列島を北上し、ペトロハバロフスクにたどり着いて、文明人であるロシア人に会いほっとしたような記載があります。
しかしこの本、寄港地で本国に送られたラペルーズの航海日誌を基にしてますが、ラペルーズの性格的なものか客観的事実を淡々と記載していて、ちょっと読み物としてはいまいち盛り上がりに欠けます。ただヨーロッパ人が日本近海をどう捉えてたか、その頃の日本の状況はどうだったか、と考えるとなかなか興味深いものがあります。ちょうど、ラペールーズが日本海にいる頃、日本では松平定信が筆頭老中に就任し寛政改革を行っていた頃であり、また間宮林蔵によるサハリンの探検は1809年のことです。
ちなみにラペルーズは世界一周は叶わず、ソロモン諸島のバロコニ島で現地人に襲われて命を落とすのですが、その後のラペールズ捜索の経緯についても簡単に記載があります。
ラペルーズ世界周航期 日本近海編
ジャン・フランソワ・ガロー・ド・ラペルーズ 著
ミエ・ミュロー 編/小林 忠雄 編訳
出版 白水社 (※絶版)
272ページ
価格 4,500円
こうした昔の航海記って、領土問題等にいろいろ引っ張りだされるみたいですね。
ラペールーズの航海記では日本海(朝鮮名:東海)という呼称がいつの時代からなのか?というのに引っ張り出されているみたいです。また自分自身、北方領土の問題(そんなに興味があるわけではないのですが)が頭にあってどう記載されているのか気になりました。
ジュール・ヴェルヌの冒険小説「海底二万里」でもページを割いて紹介していますね。また、あまり知られていないのですが、同じヴェルヌの作品で(NTT出版)「ラ・ペルーズの大航海」(ノンフィクション)があります。ヴェルヌの視点から見たラ・ペルーズの航海記はたいへん貴重です。
投稿情報: ハーディング42 | 2004/09/05 10:58
こんにちは。
ジュール・ヴェルヌって実は読んだことないんです。今度「海底二万里」と「ラ・ペルーズの大航海」読んでみます。
貴重な情報ありがとうございました。
なにせ、航海記好きなもんで...
投稿情報: yomikaki | 2004/09/05 22:49