先日、国立近代美術館でイサム・ノグチ展を観たのを機に、イサム・ノグチについて知りたくなり、図書館で伝記を借りて来ました。
やっぱりイサム・ノグチといえば、和紙を使った有名な「あかり」シリーズでしょう。洒落たインテリアショップや雑誌などで良く見かけます。私も「あかり」でイサム・ノグチを知りました。その後イサム・ノグチという表記から彼が日系二世であり、彫刻家であったことを知りました。ただ大抵の人がそうであるように私も知っていたのはそこまででした。
彼は彫刻家であるといっても普通の彫刻家の枠に捕らわれず、彫刻を単なる一つのモノではなく空間を構成する一つの要素として捕らえ、作品はいわゆる彫刻品だけでなく空間をプロデュースした庭とか公園と多岐にわたっています。
その彼の作品の根底には二世であるがゆえの苦しみ、日本でもアメリカでも自分を受け入れてもらえない「宿命の越境者」としての苦しみがあるようです。
しかしながら、ハンサムな彼は数多くの女性と浮名を流しました。メキシコの女性画家として有名なフリンダ・カーロと不倫による騒動を起こし、また李香蘭で知られる山口淑子と結婚し北鎌倉の魯山人の離れを借りて新婚生活を過ごしています。山口淑子とは結局別れることになりますが、魯山人の離れで過ごした時期は彼にとって幸せであったように思えます。
やがて彼は日本とアメリカを行き来するうちに、日本三大石材産地の一つである四国の牟礼で晩年の彼を支える石匠 和泉正敏と出会います。和泉は個人として共に作品を仕上げ、彼の実家 和泉石材店としてもイサムの日本での活動を支援するなど、公私にわたりイサムを支援しイサムになくてはならない人となります。やがて和泉は丸亀市にあった築二百年の農家を移築し、イサムの日本における拠点として提供します。当初煤と煙で真っ黒であったその家をイサムは「こんなお化け屋敷に住むのはいや」と拒絶しますが、修復作業を見ているうちにのめり込み、やがて「イサム家」と呼ばれるようになります。(イサム家はやがてイサム・ノグチ庭園美術館としてオープンします)
晩年、彼は和泉のいる日本の牟礼とミケランジェロを輩出したイタリアのピエトラサンタ、そしてニューヨークを転々としながら、最後までアグレッシブに創作活動を送り、そして1988年12月30日に他界しました。
そんな彼が最後までこだわり続けた作品のひとつが芸術作品として捉えて貰えなかった「あかり」シリーズであると聞くと、普段なにげなく見ている「あかり」も感慨深いものがあります。またもう一つこだわっていたもの、それはニューヨークでは何度もコンペに応募しながら、採用されることの無かった「プレイマウンテイン」...札幌市郊外のモエレ沼公園(1998年7月一部開園 2004年完成予定)として実現します。
最後まで「越境者」としての作品を作り続けたイサムですが、幼少時代を過ごした日本での自然風景、魯山人の側で過ごし影響を受けた新婚時代、そして牟礼での生活と充分その感性は「越境者」ではなく、「日本人として」の感性のように感じました。
この本はイサム・ノグチの生涯を綴った伝記なのですが、一気に読ませる文章力、過不足無く調べ盛り込まれた中身、非常に面白い本でした。
ps.サイトで本の情報を調べて知りましたが、第22回講談社ノンフィクション賞受賞だったんですね。
ドウス昌代 著
ジャンル ノンフィクション(伝記)
出版 講談社
397ページ(上)/389ページ(下) 四六版
上下 各 2,000円
※ 講談社文庫版もあり
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